高度な発展に比例して情報は不平等になる
技術革新が起きても、文化的な発展があっても、何がどう変わろうとも変わらないものがあります。
それが「想定出来る範囲」です。
基本的に人は自分の知ること以外は知らないし理解も届きません。
存在する限り時間制限があり、インプットとアウトプットにも限界があります。
そのため何がどう変わろうとも個人には限界があると考えられます。
最速で把握するために失敗して学べという考えがありますが、
これは個人と組織の想定の範囲を広げる上で非常に大切な事です。
漫画から神話まで、想像を超えた敵に対して想定を超えた主人公が勝利を収めることが方程式になっています。
これは、努力(テスト)を繰り返して新しい力(想定外の成功法)を習得することが勝つ上で必要な事なのだと教えてくれます。
つまり、予め想定の範囲を広げる「仮説」という考えはとてつもない価値を持つということです。
しかし仮説には欠点もあります。
つまり、その仮説は「信用できるのか?」ということです。
だから、根拠を得るために「数字」や「言葉」を基にするんですね。
バラバラに散らばった情報の欠片を繋ぎ合わせて形にする。
それを出来る人が成功している、、、至極当然の発想です。
その究極は「原理原則」を発見することだと思います。
アインシュタインは原理原則を発見して、原理原則を体系化したことに価値がある。
と誰かが言っていました。ソースは不明です。
確かに、原理原則を発見するだけ、体系化するだけでは、○○学派という枠になってしまったと思います。
「誰が言ったかではなく、何に気付いたか」にフォーカスすると面白いことがたくさん増えます!
仮説や想定に迷わないことが近道ですが、迷うから面白いなとも考えています。